2010年兵庫大会
 ホームページ担当の宮内は,何かと話題の茨城空港から出発です。 神戸空港に近づきました。
巡検 理研 発生・再生科学総合研究センターでの実習 十分に注意して管理されている部屋もあります。
細胞の染色 ここまで来れば芸術作品 プラナリアも研究の材料となります。
鶏の受精卵を用意していただき,参加者が胚を観察することができました。 保温して50時間もすると,それなりの形に。

 
スパコンの建物の前にはそろばんのモニュメント 冷気が床から吹き出して機械を冷やします。
 ハードディスクが置かれる部屋の床下は,かなりかさ上げされていて,空調と配線をしやすくしています。見学者にもそれが分かるように,ガラス張りにしたそうです。↑
これは,CPUが入る部屋。体育館2つ分。 空調は,淀川の水を気化させることで冷やします。
巨大なエアコンのフィルター。白っぽく見えるのは全部そう。手前は,解説の関口さん。 発電はコージェネ。熱効率の高い新鋭機。
埋め立て地に建てているので免震構造に。 鉄に火災防止剤を吹き付けて安全性向上。
 世界最高性能のコンピューターを作るには,コンピューター本体も大切ですが,電気,空調,水,地震対策...様々な分野の英知と技術が結集する必要があります。こういう物を作ることにより,国内のたくさんの産業が活性化されるのではないでしょうか。
 詳しくは,関口芳弘さんの「挑戦する理研」 『理科教室』2010年7月号をお読みください。大会参加者は,大会要項にも収録されているので,そちらをご覧ください。
大会前日,全国代表者会議が始まりました。 さあ,大会初日,科学お楽しみ広場には全国からいろいろな教材が集まりました。これは瀬戸内海の海岸で採れたカイメン。
この装置に電流を流すと... まち針が,コイルに引き寄せられて浮いてます。広島の下末さん。
紙芝居で昆虫を語る東京の中原さん。 100円ショップの扇風機を改造して作った綿アメ器 障害児者と自然科学教育サークル岡馬さん
科学お楽しみ広場は,回りきれない,全部は見きれないほどの教材,実験,解説...がいっぱいです。
会場校の合唱から,全体会がスタート。
素晴らしい歌声でした!!!
記念リレー講演は,「六甲山地の生い立ちと断層・地震」,「自然保護大国でなければ,21世紀は生き残れない」,「『コウノトリの復活』をめざして」の3つ。どれも素晴らしかったです。

記念講演関係へのリンク

コウノトリ市民研究所

田結庄良昭さん

日本熊森協会
特に,森山まり子さん(日本熊森協会)の著書を求める方々の長蛇の列ができました。 熊の住む森は,水源です。熊を守ることは,水源,つまり私達の生活と大変大きな関わりがあります。
司会者会議 分科会をどう運営するかを話し合いました。 会議が終われば,教材の見せっこが始まります。テルミットで作った鉄のかたまりをキーホルダーにしたとという宮城の阿子島さん。
セミの卵を持ち込んだ人も。枯れ枝に生み付けられたところ。茶色の部分。 裏方の仕事をする実行委員さん。
分科会に授業で使った物を持ってきて発表する人が増えています。話が見えやすく,具体的な話になりやすいです。 このコイルに音声電流を流すと,ネオジム磁石を耳に入れたとき,音が聞こえてしまいます。
子ども科学教室の様子です。分科会の間,退職組が子ども達相手に科学工作などを展開。子どもたちの笑顔がいっぱいです。 自然に触れる物づくりなど,楽しい活動をたっぷりできました。
会場校の先生方,若手,ベテラン,たくさんの方々のおかげで成功できたと締めくくった觜本大会事務局長。 精力的に協力してくれた,会場校の先生方。
(この外にも片付けをされてた先生方が多数おられました。)
 科教協兵庫大会に参加されたみなさん!
 科教協兵庫大会を支え、応援し、盛り上げて下さったみなさん!
 本当にありがとうございました。
 大会は大成功で、無事終わったことを報告し、みなさんのご協力に感謝します。

<もっとも科教協らしい場は>

 この大会期間を通じて、最も科教協らしい場所はどこだったでしょうか。
 ほとんどの人が参加しなかったある場所が、最も科教協らしいところでした。それは科学館4階の多目的室でした。そこでは毎日20人の子どもがやってきて、ほんとうに楽しそうに科学を学びました。大会参加者の子どもさんと近隣の小学生がやってきて、笑顔や笑い声があふれる場でした。
 科教協は日本中の教室で、地域で、子どもたちが、楽しくほんものの科学を学んでほしいと研究や活動をしてきたのですから、この「子ども科学教室」の子どもたちの生き生きした笑顔こそ最も科教協らしい場だったのです。

<兵庫大会の参加者数>

 大会には合計実数で803人の方が参加されました。初日の一般無料公開のお楽しみ広場137人、ボランティアの要員で参加してくださった方、子ども広場も含めて、私たちが目標にしてきた800人を超したことを報告します。また、参加費を払っての参加者が600人でした。そのうち、特別割引の若い方の参加が60人でした。
 私たちはこの大会を、若い学生や臨時教員、新採用の教員であふれる大会にしたいと願ってきました。そのために特別割引制度をもうけましたし、子ども科学教室もそのために企画したものです。その点で参加者の1割が、そうした若い人だったことは、とても嬉しいことです。

<大会成功の要因>

  この大会が大成功した要因はいくつかありますが、最も大きな要因は、この武庫川女子大学附属中学校・高等学校が学校全体で大会をバックアップし、協同していただいたことです。武庫川の先生方にあつくお礼を申し上げます。

<30年目に実現した大会>

  私が科教協大会にはじめて参加したのは、1979年の第25回松山大会でした。そのとき、温泉の旅館に宿泊して食事をしたときにとなりに座ったのが、極地研の鈴木清龍さんと高橋金三郎さんでした。とても感激しました。その閉会全体会で私は「兵庫でもサークルをつくりたい」と発言したことを覚えています。
 当時、私は30歳でした。それから30年が過ぎて、60歳になった年にこの兵庫大会を実現し成功させることができたことは、とても感慨深いものがあります。

<若い力とベテランのコンビネーション>
  この大会は若い力とベテランのコンビネーションで成功させることができました。
  全体会場の前に掲げてある子どもの絵は、若手の代表である三宅さんが書いたものです。
  要項の表紙は、若手のホープである大西さんの作品です。
  このすばらしい全体会場の掲示をやっていただいたのは退職教員の飯原さんです。
  達筆で書かれたいろいろな掲示物も退職教員の桂さんの作品です。
  受付を担当していただいたのは、ほとんどの方が私が今までお世話になってきた退職教職員の方々です。

  私は、若い人、現職の人には分科会や講座に出席してほしいと思いました。受付や外回りの雑用などをしていただく要員は、私が集めるので現職は可能な限り討議に参加できるように配慮しました。ベテランのパワーと知恵、コンビネーションはすごいものでした。大阪の柏木さんには受付のいっさいの采配をお願いしました。歴教協の桐藤さんには、3日間を通じて外での案内と買出しなどの雑用をしていただきました。この大会ではベテランが支え、若者が育っていくことができました。

<人と人がつながる心地よさ>
 大会を準備する過程でつくづく思ったことは、人とつながることの心地よさであり
喜びです。まず、私たちは武庫川の先生たちとつながり、仲良くなれました。またこの間、全国のいろいろな方とメールや電話でさまざまなやり取りをしました。とても楽しく、力強いことでした。
 もう一つは、今まで人とつながり、支えたち支えあってきた仲間や集団のありがたさです。いままでお世話になってきた先輩方に、助けを求めたところ、たくさんの方が全くのボランティアで駆けつけてくださいました。ほんとうにありがたいことです。
この人と人とのつながりこそ、最大の宝物だと痛感しました。

<学校現場の困難を打開する道>

 学校現場はいま、さまざまな困難が満ち溢れています。多忙化や健康破壊、子どもや親とのトラブル。科教協の大会に参加することやサークルの例会に参加することすら困難な事態があります。
 そして、困難はますます大きくなっていくことが予想されます。
 でも、だからこそ科教協やサークルの役割が大きくなっているのです。みんなで支えあったり、教えあったりすることが必要なのです。考えあったり、協力し合ったりする仲間が大切になっているのです。そんな仲間を増やし。サークルを活発にしていきたいものです。
 私たちもまた。そのような活動をこれからも、地道にしっかりやっていく決意を表明し、兵庫大会の終わりのあいさつ、感謝の言葉としたいと思います。
 みなさん、どうもありがとうございました。
                                 觜本(兵庫大会事務局)
実行委員のみなさん,お疲れ様でした。 大会は,栃木支部に引き継がれました。
閉会後の巡検です。甲子園浜。 ここは,住民が裁判を起こして守りました。
ハマヒルガオ ハマゴウ せっかく育っても持って行ってしまう人がいて,困っているそうです。
ここの重要性を訴える人たち こちらも 甲子園浜自然環境センターのページへ
 ○募集○
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